
韓国 ソフト編:経験(雑観)~俺は、サムライ・ボス!~
1.はじめに
これが出るのは4/1。新年度、あけましておめでとうございます。
また、新たに社会人になられた方々は誠におめでとうございます。特にアルスコンサルタンツに入社された皆さん、良い会社に入られましたね。これから希望に満ちた社会人生活になることを祈念するとともによろしくお願いします。
これから皆さんは社会人になられ、諸先輩の下で育っていかれると思いますが、技術者への道は厳しい。社会人の道も厳しいということです。世の中そんなに甘くない経験を積むことで一人前になれます。
大学や大学院を出ても、それは申し訳ないが机上の論理でしかない。実社会はそれでは対処できないことが多い。そんな時悩むことでしょうが、皆さんには先輩や上司がいます。それを頼って一人前になっていってください。私は、社会に出た時、尊敬する先輩に「技術者は(職人の)丁稚奉公だと思え」と言われました。「言葉で教えてもらおうと思うな、見て盗め」とも。これは今は通用しないかもしれませんが。
アルスコンサルタンツを長年外から見てまいりましたが、仕事に対して一番大切なことを持っている企業です。それは“誠実さ”です。これが有りさえすれば何とかなります。今の世の中、同じコンサルタントでも“誠実さ”がない企業が結構あります。
どうぞ輝かしい未来のために励んでください。
それでは前回の続きで、今回は韓国ソフト編。雑感である。
※現状とは少々違うかもしれない。かの国の生き方、仕事に対する姿勢を、どう思うかである。この頃の韓国は元気があったような気がします。今の日本もそうですが最近元気がなく、どうも違った方向に動いているような気がしてなりません
2.初めに“人”
- 基本的にまじめである。プライドが有り、元気である。
- 「韓国人は信用できない」と言っていた人もいたが、誠意をもってやってもらった(と思っている)。
- “文化”に対して強い誇りと興味を持っている。我々も見習うべき。
私の趣味である“武道”や“日本刀”について語ると、彼らからは興味を持って迎えられた。最初は日本の“武士道”に嫌悪感があるのではないかと懸念したが、意外と受け入れられた。ただ「剣道の発祥は韓国だ」との見解は疑問。
町中にはたくさんの道場がある。私も望まれて立ち合い試合をした。
3.技術力
- 日本とそう変わらないのではないかと私は感じた。いつか、抜かれる。
- 設計規準類は日本とアメリカの良いとこ取りをしているのでは?
- 道路等の建造物を見ると、古い物は雑な感じがした。最近の物は比較的丁寧に施工されている。
- コンピュータには絶対の信頼を持っているらしい。携帯電話はどこに居てもつながる。
- 何よりも「新たなものを取り入れる」「欧米的思考」。これが日本よりも優れている。おそらくグローバル社会では日本は負ける。
4.食べ物
- とにかく“キムチ”!!キムチは5歳ぐらいから毎食、食べるているそうだ。
- 滞在3週間もすると食べ物でダウン。最初は意外と“イケルナ”と思っていたが、毎日はかなりきつい。ウンザリ!食べ物がみな“赤い”!
- 1ヶ月も居ると、なるべく朝食はパンと果物、昼食は日本食に近いものとなってしまった。時間が解決し、その後また韓国のものも食べられるようになる。キムチは一生分食べたかな?
- 日本に帰国後の後日談。女房が3週間ほどニンニクのにおいが抜けなかったと言っていた。
- しかし安く食べれるのは(焼肉もイロイロ)魅力
- 現地の人は“フグ”が好きだった。「これで、年間に何百人か死ぬんです」と言いながら食べていた。韓国人の大雑把さがあるので、調理法に疑問が残る。ぶつぎりにした味噌汁を「飲め飲め」と言われたが遠慮した。
- 味覚の違いが有るのだろう。きっと。最初に現地の会社でコーヒーを入れてもらった。色をみた後、一口飲んで女の子に「このお茶、何?」と聞くと、「それコーヒーです」エエ、この薄さは何?なんか特別なお茶かと思った。外で飲むコーヒーは、ものすごく甘い物もあった。
- 来る前から聞いていたが、やはり食べ物はつらい。自分はキムチが嫌になってしまった。2泊3日くらいのちょっとツアーで焼肉を「おいしいおいしい」と言って日本に帰ってしまうならよいのでしょうが、長期滞在者にはつらい食べ物との戦いがある。
- ソウルの街中には、単身赴任の日本人向けの定食屋もある。しかし高い。刺身はソウルでは食べないほうが良いと言われた。釜山ならば大丈夫らしい。釜山に行った際に食べたが大丈夫だった。
- ある休日、宿泊先のホテルでくつろいでいると、通訳の女性から電話。何事かと思うと、「(上司にあたる日本人から)食事に行こうと誘われた。どうしたらよいだろうか?」と言う。
「今日は休みだからあなたの好きにすればよい。行きたければ行けばよいし、嫌だったら断ればよい。」と言うと、「大丈夫だろうか?」と言う。どういうことか聞くと、断って解雇されないか?との心配だった。
少し前に日本でも某テレビ局であったような話である。仕方がないので「仲間内で懇親会をすることになっていて、そちらに行く」と言えと言って、アリバイ作りに仲間を数人集め飲み会を行った。なんで、権力を振りかざしてプライベートも強要するのか?情けない。
5.物価
- 安い!日本の1/2~1/3。
- 高速道路料金も、ソウル~ブサン(500kmくらい)走ってみたが、片道を日本円に直すと、千数百円。
- 博物館等の公共施設の拝観料、70円?!程度。
- タクシーも安い。2種類ある、大衆タクシーと安全タクシー。大衆タクシーは相乗りが当たり前。値段は安いが“危険”。安全タクシーは制服を着ていてマナーも良い。日本の個人タクシーのようなもの。
6.(コンサルタント)技術者の待遇
- カウンターパートの親分(理事)が、丁度、私と同じ年だった。雑談で話していたら、1956年生まれの猿歳生まれ(韓国でも十二支がある)。“キム(金)理事”、“ハイウエイキム”と呼んでいた。
- 年収の話しになり、彼の年収はほぼ同じ。(2000年当時)
- ナンダ、俺と変わらない!物価が半分だから倍だ!
- 彼の椅子は皮張りで背もたれが高かった。パーテーションで区切った個室と脇には打ち合わせテーブル。常に部下が指示をもらいに来ていた。
- トンネルのソウもいつも遅くまで仕事していた。奥さんは大学の助教授。
ソウル市内にマンションを持っていた。男の子が一人いるという。「毎日遅くなって奥さんも忙しそうだから大変だね、子供がかわいそうだね」というと、「メイドが居ます」と言われて驚いた。 - なんと、待遇が違うのか…。トホホホ!!
- 役所に対する発言力もある。対等に良いものを作るという意識がうらやましい。
- 一度、道路公社に打ち合わせに行ったら、打ち合わせの最中に民間コンサルが役所に対して怒り出した。あまりひどいので「やめろ」と止めたが、韓国では常識らしい。
7.打ち合わせ・指示
- 正論を言えば納得してくれる。間違いは素直に認める。
- 自分のプライドのためか、打ち合わせでは何か一言、言わなければ気が済まないのではないか?
- 若い者に指示をすると「イエイ!!」と言って、直ぐに対応してくれる。日本では無い光景、兵役の影響か?
- 指示はしたが多分時間が掛かるだろうと思っていると、早い!ただし十分チェックしないと、間違いが多い。
- 日本人の中には「だから信じられない、韓国人はいい加減だ」と言っている者もいたが、私は“正確さよりもスピード”が気持ち良かった。
- 間違えの原因はコンピュータへの過信だろう。これは日本の若手技術者にも見られる。
8.その他
- 最初の歓迎会でお酒をしこたま飲んだ(飲まされた?)。ジンロを必ず飲み干す乾杯を何人ともやる。
「Mr.UENO ドリンキング スローリー!!」(ゆっくり飲め)と言われたが、「I can notスローリー!」と言って一気飲みを繰り返していたら、次の日は調子悪かった。気が付いたらホテルで目が覚めた。 - 歓迎会で途中から私の側にずっと居たドクター・パクは「言葉はわかるか?」と聞くので「イイエ、あんまり。バット、ハート ツウ ハート」というと「オオ!!ハート ツウ ハート!!」と言って、喜んでいた。
- ドクター・パクとカンさんの二人。
「ウエノさん、日本で前に会っているような気がする」と言っていた。2人ともKICT(日本の土木研究所と国土センターみたいなところ)のOBだ。もしかしたら「日本のJICE(国土センター)知ってるか?」と聞くと「知っている。行ったことある。」とのこと。(確かにお互いに提携を結び、年に1度交流会をしていた。)「俺もそこに居た」と言うと「オオ!」。納得していたが本当か? - 3週間ぐらい過ぎて1人で町を歩いていると、若そうな韓国人が私の方に寄って来て、「×××…!!!???」多分、道を聞いているらしい…。「I am イルボンヌ」とわけのわからない言葉で日本人であることを伝える。それが何度もあった。
会社に戻ってハイウエイ・キムに言うと「ユーアー コリアン フェイス!」そうか、俺は韓国人顔か。韓国人は同朋かどうかを、顔と臭いで判断しているとのこと。 - 日本に一時帰国する際にパンナムや大韓航空に乗ったが、CAが他の客には言葉を使い分けていたが俺の所に来ると首を傾げていた。
- 語学の苦手な私は、通常はメチャクチャな英語。毎日が疲れる!なんで疲れるのかな?2重に考えるからだな。やっぱり学生の時に英語はしっかり勉強しとけばよかった…。
- 通訳の女性が足りないので普段は筆談と絵を書いてごまかしていたが、休みの日にハイウエイ・キムが「ドライブに行こう」と誘ってくれた。行き先は“北朝鮮との国境”見学。
「拉致されても知らないよ」と冗談を言いながら2人で行きました。1日2人で気を使って話していたので非常に疲れた。帰りに自宅に招待されたが、奥さん子供と訳のわからいまま話した。 - 北朝鮮側は荒涼としていて「あれでは食料も足りないな」と感じた。本当に荒涼としていた。
- ホテル住まいでタクシー通勤という贅沢な勤務だった。ホテルには日本人の観光客も結構いた。私のホテルは高級ホテルではないので、“おばさんの日本人”が多かった。高級ホテルに行くと、お偉いさんや若い日本人のお姉ちゃん、カップル(おじさんと飲み屋のお姉ちゃん風?)が居た。
ある日、仕事からホテルに帰り部屋に荷物を置き、食事に行こうとエレベーターに乗っていたら、途中の階から日本人のおばさんとおぼしき数人が乗り込もうとして「下?下?」と聞くので「ハイ、下へ行きますよ」と“日本語”で答えた。「仕事で来ている日本人も多いんでしょうね…」等と話していたので日本人だと認識してもらえたんだと思っていたら、エレベーターを降りる時に「サンキュー!」と言い残して出ていった(笑)。俺って何処の国の人に見られたのだろう?飯屋に行ったら、またそこにおばちゃん達が入ってきた。注文で苦労しているようだったが先程の件もあったので、知らんぷりをしてしまった。 - ソウルに赴任して数か月、やたら知人が訪ねてくる。あまり親しくない者まで「寄ってみた」とか「休みで来た」とか。仕方がないので「食事でも」と言わざるを得ない。「どこに行く?」と聞くと、決まって「焼肉に行きたい」という。最初は俺もよかったが、さすがに数か月いると普段はさっぱりしたスープ系で済ませることが多く、一緒に行ってもあまり食べれなくなった。でも日本で焼肉をおごるよりも安いので助かる。
- 韓国食にうんざりしていたころ、町中で必死に辛くないものを探した。「とんかつ」や「寿司」は日本に近かったが高い。すかいらーくもあったが、ハンバーグを頼んでみると何となくキムチ味。ある時に「うどん」とひらがなで書かれた店を見つけた。中に入り「うどん」を注文し、これは少しはましだろうと思っていたが、運ばれてきた「うどん」はスープが赤かった!店員に「これ、普通のうどん?」と聞くと「イエーィ!うどん!」どこまでキムチ!
- 数ヶ月も居ると、さすがの俺も英語が出来るようになった気がする(?)。「植野さん、英語上達しましたね!」とハイウエイ・キムやトンネルのソウに言われて「ウン、そうかね?」と満足??
- 日本に戻ってからハイウエイ・キムから電話があった。取った女の子が「何か英語でしゃべってます」と言うので出た。少し馬鹿話をして笑ったりしながらしゃべった後に電話を切ると、皆こちらを見ていた。そしてその連中が「カッコイイ!!」。でもね実はキムも俺もお互いにブロークンなんです。
- その後、トンネルのソウが日本に来た。何処か行きたいところは?と聞くと日本の神社やお寺だという。鎌倉へ行った。2人で電車の中で話していると、周りの人達が不思議そうな顔してみていた。言葉に対して不思議だったのかナ?
- また、トンネル・ソウが日本の本屋に行きたいと言う。八重洲ブックセンターに連れて行くと、もう真剣に本(専門書)を見だした。結局2時間を費やし、スーツケース一杯分くらい(数万円分)の書籍を韓国に送った。
- 韓国語で最初に覚えたのが「ケンチャナヨ」。日本語に訳すと「気にしない」とか「大丈夫」「かまわない」「なんとかなる」。俺の一番好きな言葉。打ち合わせでも連発してたら、結構韓国人にうけていた。
- しかし、さすがに現場での工程を見ていると、どうも工期に間に合いそうもない。幹事会社を呼んで「どうする?」というと「ボス!ケンチャナヨ」「本当に大丈夫か?どうも無理そうだ」「会社の威信にかけて韓国中から機械と人を集めてでも、間に合わせる!」「そうか?頼んだぞ!」「ケンチャナヨ!」と言い、実際に間に合わせた。
- 事業会社(SPC)の幹事の現代開発(ヒュンダイ)へ打ち合わせに最初に行った時、先方の会社に着き玄関から中に入ると赤い絨毯が敷いてあった。そしてその両脇に若い綺麗なお姉さんが20人くらいズラーと立っていた。「いや、タイミング悪かったな?誰かVIPが来るのだろう?」ともじもじしていると、出迎えが出てきたので「誰かVIPが来るのか?だったら私はお待ちしますよ。」と言うと「何を言いますか!植野さんの歓迎のためです」とのこと。日本では体験できない経験だった。これを言うと変なことを考える奴も多いが、そういうことではない。純粋な歓迎である。
- カウンターパートの金さん(ストラクチャー・キム)他若手数人は、彼らのプライドからか、最初の3週間ぐらいは毎朝、私の席の前に座り、技術的な質問から文化の話まで質問責めにあった。これが彼らの人を評価する方法なのか?3週間後、彼が私のことを呼ぶ「ジャパニーズ・カリスマ・サムライ・ボス」と…。それからは「マイ・ボス、ボス」と私の指示を素直に聞いてくれた。それで彼の部下の韓国人の若手も私を「ボス」と言うようになった。自分達のボスと認めれば従うようだ。
- 帰国する前に彼らが打ち上げを行ってくれた。2人のキムやソウが、「我々は日本人と間近で一緒に仕事をするのは初めてだった。不安がいっぱいあった。しかし植野さんに最初に逢って感激したのは、我々が部屋に入っていくと椅子から立ち上がっておじぎをし、我々1人1人と握手をしてくれた。それから毎日の雑談の中で日本の文化、韓国の文化に関する考え方を話してくれた。韓国の文化を認め、日本の文化も話してくれた。特に武士道の話と日本刀や鎧の話は良かった。仕事では事業会社との打ち合わせ時に、余計なことは言わずにダメなものははっきりダメと言ってくれたのが良かった。だから我々の「ジャパニーズ・カリスマ・サムライ・ボス」だ!」と言われた。これにはこちらが感激した。
- 韓国の生活が終わり日本に帰国した。前述したように自分ではわからないが、においが抜けるのに3週間要したようだ。良く金浦空港がキムチくさいと言う。その後、ソウが東大に留学してきた。また、道路公社の面々も日本に来てくれた。なぜか「植野はブジャンか?」とよく聞かれた。最初は何を言っているのか?と疑問に思っていたが、通訳の女の子に聞いたら「韓国ではブジャンがステイタスなんです。自分を相手方のブジャンが案内してくれたと言うのがステイタスなんです。」とのこと。もう一つは「植野は両班か?」ともよく聞かれた。「俺は一般人だ」と答えていた。いまだに身分制度は残っている。両班でないと結局はしかるべき地位にはなれないようだ。
- 今、アメリカや世界的に「SHOGUN」が話題だが、「俺も、サムライボス!」
そういえば真田広之とは昔、「僕らは、みんな生きている」という松竹映画の製作に協力してからの知り合い。お互い若かった(俺は30代、彼は20代後半?)。
彼の劇中のセリフ監修と小道具(図面、CG)を頼まれた。彼の役どころはゼネコンの橋梁設計者だった。某国(たしかタルキスタンという架空の国、モデルとしてはタイ)に新設橋梁(斜張橋)のプレゼンに行き内乱に巻き込まれ、パンツ一丁で逃げ惑うというもの。協議時の資料や一般図、CGを作り、セリフも監修した。しかし相手は覚えていないだろうな。
妙な共通点が感じられて嬉しい限りである。

インフラメンテナンス 総合アドバイザー
植野芳彦
PROFILE
東洋大学工学部卒。植野インフラマネジメントオフィス代表、一般社団法人国際建造物保全技術協会理事。
植野氏は、橋梁メーカーや建設コンサルタント、国土開発技術研究センターなどを経て「橋の専門家」として知られ、長年にわたって国内外で橋の建設及び維持管理に携わってこられました。現在でも国立研究開発法人 土木研究所 招聘研究員や国土交通省の各専門委員として活躍されています。
2021年4月より当社の技術顧問として、在籍しております。
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