植野が斬る!

ヒトは大切だが厄介なもの

1.雑用係長

JICE(※1)で様々な経験をしたものの、JICEは卒業した。そこで再度、C社に戻る。
今度は、一般の技術屋としてではなく、本社の事業推進本部というところ(普通の会社では技術本部と営業本部が合わさったところ)で、イレギュラーな業務ばかりをやった。
通常の構造事業部では、できないという変わった橋梁やマニュアル作成関係、クレーム処理や、新規業務・・・。本省対応と土研、財団対応の雑用部署である。部署と言っても、わたしと、若手社員1人(事務系)と女性事務員の3人であった。この部屋の隣は、いわゆるOB部屋であった。国交省やNEXCOや首都高、JRのOBさんたちが居て、それぞれ仲良くしてもらった。今でもメールやSNSでつながっている。実はこのOBさんたち、会社に対して不満があったので、近い立場で話を聞いていた。

この方々も私を官庁OBに近い存在だと認めてくれて、会社の連中には言えないようなことを聞かせてくれたり、課題の処理などを任された。そんな雑用もやっていた。様々なことも教えてもらい、多くの方を紹介してもらった。この中で、一番すごかったのは、仁杉巌さんであった。旧国鉄の最後の総裁で「国鉄の天皇」と呼ばれていたが、だいぶ良くしてもらった。 

本省の仕事と土木研究所の仕事は、やっかいな割に金にならないのは皆さんもよく知るところ。
利益追求型の企業は、やらないのが当たり前。JRやNEXCOもそうだがそれ以上である。みんな嫌がる。むちゃくちゃな要求もある。企業とすれば、こういう仕事は金にならない。そしてやっている個人の評価は低くなる。特に、金儲け主義の会社では、厄介者扱いされる。当然私も厄介者扱いされた。
しかし、どうせ評価はもらえないので、かまわずやっていた。そうすることで自分の会社が外から見えてきた。

あるとき、会議で「官庁からの受注も頭打ちの時代だ。民間からの仕事も受注したい。探せ。」と言うので、どうせなら国内最大の企業である「トヨタ」だろうと考えた。
つてを探ると、知り合いの国交省OBがトヨタの子会社にいた。それまで何度か仕事を一緒にしたので話をすると、毎年5億円づつくらいのナビゲーションシステムのデータ改良業務がある。
道路改良や新設に伴う写真の載せ替えなどのデータベース化である。そして5年に一度位は、大規模改良を行うので数倍の仕事になるとのことであった。会社に持ち帰り報告した。すると何度会議をやっても「受けるのか受けないのか」すら決まらない。「人が居ない」「仕事が重い」とか。
私は、相手に返答するのに、あまり時間もとれないと思い「早く、決めてください。」と言うと、役員皆が「おまえはやる気があるのか?」と言う。そこで、「私に決定権が有るのですか?民間の仕事を受注したいと言うから持ってきたのですが、相手もあるので、特に民間は時間との勝負だ。だから決めてくれと言っただけだ。その言葉、そっくりそちらに返す。」と言って会議室を出てしまった。これで幹部連中からは今まで以上に厄介者扱いされたが、営業部の若手には評価されたらしい。私が辞めた時から現在までも、時々「なぜ、植野を辞めさせた。」「ああいう人が残って居れば少しは会社も変わったろう。」と言われているようだ。

“ヒト”とは実に厄介なものである。
人生におけるリスクのほとんどは人である。国土センター(※1)時代の上司や同僚(何れも、キャリア)連中からよく言われたのが、「役人は、初対面で一瞬の間に相手の人間性や信用できるかできないか?を判断しなければならない。これを間違えると自分に被害が及ぶ。」とのこと。
それだけ仕事にも人間性が出る。資格や肩書は申し分ないのだが人間性がよくない人間が居る。本人は気付いているのかいないのか?この教えにも従い、私は人を見て判断している。残念ながら時々間違えるが、試してみる時もある。
役所に居るとあいさつに多くの方が見えたが、よく挨拶の状態を見ていると①目を合わせない奴②口ではよろしくと言いながらあさっての方を向いている。こういう連中はダメ。また、こういうのが社長でも営業でも、その会社はダメ。誠意がない。

2度目のC社では、同世代や上の世代の妬みに合ったと言ってよいだろう。まずは私が国土交通省や大学、自治体の人間と親しいのが妬まれた。
しかし、営業や若手からは重宝がられた。若手からは「C社の最終兵器」と言われ、問題やクレーム、現場で出来ない仕事を何とかまとめていたが、それがまた気に食わないようだった。苦労して、なんとかまとめて成果が出そうになるとトンビに油揚げをさらわれた。
この時、人事会議に呼ばれ「首かな?」と思っていくと「今君の役職でもめている。どうすれば良いか?」というので、内心、嫌みか?と思ったが「それでは、雑用係長としてくれ。」と言い、実際に名刺にそう入れた。国土交通省などから「雑用係長はないだろう。」と言われた。名刺はすべて自費で作った。面倒な連中とは、関わり合いたくない。

こういうことをやっていると人間の器量というものがよくわかった。結局は机上論の世界に身を置くと、人間まで小さくなると分析した。一番長い年月経験したが、こういうことでコンサル嫌いになってしまった。
初代社長と専務など初代の役員たちとは気が合った。皆、メーカー出身でエンジニア気質が高かった。しかし2代目になると、なんか変な雰囲気になっていた。価値観の違いなのかなんかよくわからないが、利益利益となっていく。

2.韓国行き

嫌気がさしていた時に、専務に呼ばれた。
まあ、この専務は私の理解者であった。なんとなく気があった。彼が「韓国に行ってくれ」という。中身の説明はなかったが「なんで俺が?海外の仕事は海外部があるでしょう。」というと「人が居ない。海外部は嫌だと言っている。」というので、「それぞれの部署はそれぞれの職掌があるはず。」と断ったが「実は新規事業で、ほかに任せられる人間がいない。」という。都合のいい話だなあと思ったが、PFI事業を実際にやってこいと言う。

「俺の好きにやらせてもらって良いか?と言うと、組織上はH常務にマネージャーになってもらう。おまえはサブマネジャーだ。しかし、常務は時々しか現地には行けない」と言う。
韓国の高速道路のPFI事業を、みずほ銀行のテクニカルアドバイザーとして行う事業であった。このとき韓国では他に空港連絡橋の事業もしていたが、日本人と韓国人の間がうまく行かず工期も危うい状況だった。
そこで命じられたのが「とりあえず、なんとかまとめてくれ。」だった。

まあ、問題ばかり起こしているので体よく厄介払いされたのかもしれない。
俺は実際の細かい仕事はしない。「なんとかまとめてくれ。」という台詞が気に入り引き受けた。“なんとかまとめる”のが、マネジメントなのだとこの経験の後、気がつく。
引き受けると、今度は常務から「早く現地入りしろ」であった。このときパスポートを切らしていたので「少し時間がかかる」と言うと「福岡から釜山に船が出ているから船ならば早い」と言われたが、フェリーで入っても、入国審査はあるのだが?結局パスポートを入手して飛行機で金浦空港に入った。

韓国に行くと、聞いていたとおり日本人が韓国人を馬鹿にしていたために、上手くいっていなかった。
私も赴任直後3週間、彼らに試された。毎朝出勤すると、私の前に5人ほどの韓国人が座り質問攻めに合った。
技術的な話から日本と韓国の文化に関して、さまざまなことを聞かれた。3週間後、彼らが突然私を「ボス」と言い出した。そうすると仕事も順調に流れるようになった。
何をしたわけでもない。話をし、一緒に昼飯を食い、夕飯を食い、飲みに行って、馬鹿話や真面目な話をした。最初、歴史的に武道の話はタブーかな?と思っていたが、趣味の話で甲冑や日本刀の話をすると意外と皆乗ってきた。彼らは結構日本文化に関して興味があるらしい。日本文化も語れないと逆に海外では通用しない。
休日にはドライブにも連れて行ってくれた。北朝鮮の国境付近に何度か行った。「拉致されても知らないよ」と冗談を言いつつ行っていたが、気を使ったのは写真撮影である。いちいち、同僚の韓国人に聞いた。海外でやたら写真を撮ると捕まることがある。自宅にも招かれ、家族と談笑しながら食事もごちそうになった。

後から聞くと、最初の3週間はやはり試していたらしい。
彼らには彼らのプライドがある。日本は先進国で技術力があると思うのは大きな間違い。なじんでからは部下に仕事を頼むと「イエイ!ボス」と、小気味よい返事でやってくれる。彼らのスピード感が心地よかった。兵役の影響で上官には服従なのだろうか?彼らが私につけた称号は「ジャパニーズ・カリスマ・サムライボス」。
帰国する時に、彼ら韓国人が送別会を開いてくれた。
この事業で日本人は数人韓国に行っていたが、送別会を開いてもらったのは私一人。国が違っても、技術者の気質は同じである。人間的付き合いが成果を生む。と同時にやっかいなのも、ヒトである。

次回は、この韓国でのエピソードを少し細かく書くことにする。

※1:一般財団法人国土技術研究センター

インフラメンテナンス 総合アドバイザー

植野芳彦

PROFILE

東洋大学工学部卒。植野インフラマネジメントオフィス代表、一般社団法人国際建造物保全技術協会理事。
植野氏は、橋梁メーカーや建設コンサルタント、国土開発技術研究センターなどを経て「橋の専門家」として知られ、長年にわたって国内外で橋の建設及び維持管理に携わってこられました。現在でも国立研究開発法人 土木研究所 招聘研究員や国土交通省の各専門委員として活躍されています。
2021年4月より当社の技術顧問として、在籍しております。